あやたママの英会話+α

田舎での日常や幼児2人の育児、また、30代から始めた英会話と日本語を使ってのフリーランスの仕事、英語の例文集など。ゆる~い雑記ブログとなっています

うつ病になった環境と完治までの道のり

いつも出来るだけ楽しい記事を書くようにしていますが、今回は私のちょっとダークな過去について書かせて頂きたいと思います。鬱で苦しんでいる人や

、周りに鬱の方がいて同じように悩んでいる人の励みに少しでもなれればと思い今回のトピックに選んでみました。

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まず始めに。

今思えば鬱病を発症し始めたのは小学生の時でした。

原因はこちら:

幼稚園の同級生からのいじめ

小学校に入ってからも続き、ほぼ全員から仲間外れに。

学校の先生による暴力(殴る蹴る、暴言など)

家庭内不仲(父親と祖父の仲が悪く、草履を投げたりお箸を投げたり)

農家の長女としての厳しいしつけ。(三つ指をついて挨拶する...家にお客が来たら酒盛りの席で食事を運ぶなど)

この辺りが思いつく辺りの原因。

ちなみに30代後半になった今でも昔の同級生が時々夢に出てきます。

 

ちなみに学校でいじめや暴力の対象となってしまった原因は、

太っていたこと、おとなしい性格であったこと辺りかと。

 

デブや生きている価値がないなど、同級生や先生からひどい言葉を浴びせられ、

時には先生に殴られて鼻血を出し、とてもつらい幼少時代でした。

今ならあっという間に問題になっていたと思いますが、30年も昔はもみ消しが当たり前だったんですね^^;

親が先生に抗議しようものなら、もっとひどいことをされました。 

 

鬼のような先生にしごかれ、小学校入学時に30キロ程だった体重はほとんど変わらないまま高学年まで行きました。

ぽっちゃりだった体型は、背だけ伸びたせいでいつのまにかガリガリに。あまりの激やせぶりに周りの保護者が気づかなかったほどです。

とこんな感じで、辛い日々を過ごしましたが

中学校では少しクラスのメンバーが変わりいじめなどがましになり、

何とか中学校を卒業し高校へ。

しかし、その日は突然やってきました!

 

何もしたくない。出来ない。

 体が動かない。

誰とも話したくない。

何も信用できない。

 

高校3年生の時でした。今思えば幼少期から徐々にその傾向はありましたが知る由もなく。

ある夏の日、全く動けず、真夏日だというのに寒気がしました。

母親に病院へ連れて行ってもらい点滴してもらいましたが、一週間経っても症状は変わらず。逆にひどくなっていきました。

 

その後、高校の部活の先生がうつ病を疑い、母親に先生の友人で有名な精神科の先生がいるので連れて行ってもらうように言われました。

が、まさかの母親が拒否!!

うちの子がそんなはずはない!の一点張りでした。

そのことを先生に伝えると、「じゃ、私が連れて行きましょう」と言ってくださいました。(先生、本当にありがとう!)

それを聞いた母親は、「いやいや、じゃあ私が連れて行きますよ...」としぶしぶと承諾。

その病院では、にこにこ優しそうな先生がいました。

鬱真っただ中だった私は病院に通ってもしばらくの間は何も話せず、ただひたすら泣いたのでした。

ちなみに泣くことは良いことだそうです!それによって自分の感情が発散できるそう♪

病院では確かルボックスという薬を出してもらいました。

そしてビタミンCを大量に飲むように指示されました。ビタミンCはストレスに対して必要な要素なんだとか(水溶性ビタミンなので不要な分は尿と一緒に排泄されるそうです!)

その後、定期的に病院に掛かりながら専門学校へ通いました。

なぜ専門学校へ行ったかというと、そんな状況で就職できるわけでもなく。

リハビリのようなものでした。

体の調子がものすごく悪くて行けない事もありましたが、

今までが嘘のように良い友達に恵まれ、少しずつ回復傾向に。

この頃の症状としては、

肩に何人も人が乗っているような激痛、倦怠感、人と話すのが怖い。。。などなど。これでもほぼ寝たきりの頃の高校時代よりはかなりましでした!

 

そういえばちょうどこのころ、良いこと日記、というのを付けはじめました。

とにかく毎日、どんな些細な事でも良い事として書き留めるという日記。

今日は天気が良くて少し散歩できました。だとか、ご飯が美味しかった。だとか。時にはバカらしい思いながらも、とにかく負の連鎖から抜け出したい一心で続けました。

これが功を奏してか、だんだんと「楽しい」や「嬉しい」の感情を取り戻すことができました。 

 

ところがここでまた落とし穴が。

頼みの綱の母親が、身内の介護をすることになりほぼ家に居なくなってしまったのです。夜も泊まりきり。子育てになると当時の父はほとんどあてにならず。

毎日夕食を一人で食べているととても切なく寂しく不安な気持ちになりました。

そのうち寂しさを埋めるため、今度は摂食障害を発症しました。とほほ。。。な感じです。

20歳くらいの頃だったでしょうか。それから約4年以上。

過食症、拒食症、過食嘔吐と、とりあえず全部やりました^^;

やめたくてもやめられない、本当に苦しかったです。

 

しかし何年も続いた病気とついに決別しようと思えた出来事が。

それは今の主人との出会いでした。

ある日、当時煙草を吸っていた主人に、煙草をやめるから吐くのをやめてと言われました。

もうラストチャンスだと思いました!!

とにかく太っても良いから食べたものを体にしまっておこう。それだけなんだからできるはず。そう思ったんです。

始めは吐きたい衝動に駆られることもありましたが、それから悪阻の時以外吐いていません。

 

病院に行かなくなったのはこの頃だったでしょうか。

始めてて先生に見てもらってから、約7年経った頃だったと思います。

 

ちなみに主人は私と正反対。

人当たりはものすごくいい主人ですが、

自分の意見を通し、いい意味で自分勝手。

わー!!こんなに自分勝手に生きていいんだな、と思えたのと、

私にもそうしていいのだと促してくれたこと、自分に自信を持って生きている姿に尊敬の念を頂き結婚しました。

これが私の鬱人生で一番の転機だったのではないかと思います。 

どこでどんな出会いがあるか分かりません。

 

ちなみに主人のご両親は子供の意見を尊重しつつ育ててこられたようです。また、自分の意見はしっかり言う方々なので、まさに主人もそのタイプ。

私が育った時のように、謙遜しなさい、とか、いい子になりなさいとか、自分を押し殺して育った環境とは真逆の様でした。自尊心を育てるというのはとても大切なことなんですよね。

 

初めは物事をストレートに言ってしまいがちな義理の母と父に戸惑いましたが、

今は分かり易くて非常に付き合いやすいと感じます。

結婚し子供が産まれまれてからは、

ダークな人生を送って来た自分が、子育てをしながら英会話を続け、現在はオンライン英会話、日本語講師として在宅で働いています。バイトですが!

時には友人とランチに行ったり、こうしてブログを書いてみたり。以前は想像も出来ませんでした。

 

 改めて振り返ってみても、

非常に辛かった幼少期。絶対に戻りたくないけれど、あの時があったから今の自分がある。今ではそう思えるようになりました。

 

今でもまだ、昔の夢を見る事があります。

それほど影響は大きい物だったと考えられますが今は受け入れられるようになりました。

 

自分の子供たちには、

人に迷惑をかけず

でも

世間体を気にし過ぎず

伸び伸びと

自分に自信を持って人生を歩んで行って欲しいな、と思います。

 

失敗したって

自己嫌悪に陥ることがあったっていいじゃないですか!

 

結局は自分がどうしたいか。どうなりたいか。

周りのサポートを受けながら、

自分の意識次第で人生は大きく変わる事を学びました。

 

一度しかない人生、

息を引き取る時に

「あぁ、本当に良かったなぁ」と思えるよう

一日一日を大切にしていきたいと思います。

 

鬱の症状や周りの環境によって治るまでの期間には差があると思いますが、治らないことはないのだと今らなら言えます。

 

苦しいこともあるけれど、

自分や周りを受け入れ、

小さなことも前向きに捉えられるように少しずつ練習し、日々を大切にしながらより良い人生を歩んで行きましょう!

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みなさんがまた今日も良い一日を過ごせますように☆

読んで頂きありがとうございました!

 

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